数年前、私たちは「マスロック」というジャンルを歴史的な観点から検討し、俗に「マスロック」と呼ばれ、理解されているものがいつ誕生したのか、その捉えどころのない結節点を探ろうとした。「マスロックの歴史」第1部〔日本語版/元記事〕では、1970年代末から1980年代初頭にかけて勃興しつつあったポスト・パンク、インディー、ノー・ウェイヴの音楽シーンを検討し、それらが、のちの1980年代に登場したSlint、Bastro、Bitch Magnetなどの、ジャンルの枠に収まらないバンドのためにいかに下地を築いたのか、そしてそうしたバンドが、1990年代を通して続くこのジャンルの第一波を形づくるうえでどのような役割を果たしたのかを見てきた。
「マスロックの歴史」第2部〔日本語版/元記事〕では、1960年代末から1970年代にかけてのプログレッシブ・ロックとジャズ・フュージョンの歴史、そしてそれらのジャンルが、変拍子や複雑なリズムを用いることによって、より実験的な音楽形式へと至る道筋を切り開いたこと、さらには「プログ・ロック」がマスロックというジャンルに与えた影響に焦点を当てた。このシリーズで直近に公開された記事「マスロックの歴史」第3部〔日本語版/元記事〕では、さらに時代を遡ってジャズの発展を取り上げ、ラグタイム、スウィング、バップ、クール・ウェイヴ、フリー・ジャズ、モダン・クリエイティヴといったさまざまな潮流が、リズムや拍子をどのように異なる仕方で用いてきたのか、そして現代の実験音楽におけるポリリズム、変拍子、シンコペーションの使用に対して、それらがいかに影響力のある音楽となったのかを検討した。
マスロックを代表する2枚のアルバム、Don Cabの《For Respect》とTTNGの《Animals》のサウンド上の違いに当惑するなら、それも当然である。《At Action Park》と《Fruit Island》を並べて聴いてみれば、そこでもまた鮮烈な対照にぶつかることになる。初期のマスロックはノイジーで、分節的で、何よりもパーカッション主導だった。現代のマスロックは軽やかで、ジャジーで、何よりもギター主導である。いったい何が起きたのだろうか?
そこで今度は時代を一気に進め、千年紀の変わり目に目を向けることにしよう。ここでは、マスロックの発展における重要な転換、すなわち1990年代を通じて、大音量で攻撃的なギター、分厚くノイジーなベース、容赦なく叩きつけるドラムによって特徴づけられていたジャンルが、2000年代に入って実験と拡張を始めていく過程を探っていく。そこでは依然として複雑なリズム、変拍子、入り組んだ楽曲構造が存分に追求されながらも、音色のパレットは、歯切れのよいクリーンなギター・トーンを取り込み、ムードよりもメロディーを重視する方向へと広がっていった。そして、26は4よりも踊れる(26 is Dancier than 4)*1ことを証明したのである。
1985–1989
MauriceからSlintへ:デイヴィッド・パホがシーンに登場し、自らのサウンドを形づくる
マスロックにクリーンでジャズ的なトーンのギターが最初に導入された瞬間を探すには、1980年代半ば、このジャンルの源流にまで遡り、デイヴィッド・パホ(David Pajo, 1968–)とSlintに目を向けなければならない。1986年にSlintが結成される以前、Slintのギタリストであるパホと、Slintのドラマーであるブリット・ウォルフォード(Britt Walford, 1970–)は、ともにルイヴィルのバンドMaurice(1983–1986)で演奏していた。このバンドが残した唯一のリリースは、グレン・ダンジグ(Glenn Danzig, 1955–)の依頼によりラジカセで録音された1985年のデモ《The First Shall Be Last》である*2。
Mauriceの音楽は攻撃的で、筋肉を誇示するような喉の奥から響くロック・サウンドを持ちつつ、そこに奇妙さと独自性が入り混じっていた。そのためバンドはグレン・ダンジグの耳に留まり、まだ十代でありながらSamhainとツアーを行うことになった*3。最終的にバンドが終焉を迎えたのは、ウォルフォードとパホが、メタルやパンクのバンドから受ける影響をより少なくし、自分たちにとって異質で新しい響きを持つ音楽を書きたいと望むようになったためである。ウォルフォードとパホは、1980年代半ば当時のメタルやハードコア・パンクに対するアンチテーゼとして、ソロを用いないクリーン・トーンのギターをフィーチャーした楽曲を作曲し始めた。それは同時に、より技巧的で、リズム面でも複雑な種類の音楽だった*4。
Mauriceが最後に書いた曲は、やがて手直しされてSlintの〈Pat〉となり、Slintのファースト・アルバム《Tweez》に収録された。よりクリーンなトーンのギター演奏へと方向転換したことについて、パホ自身は、その決定的な影響源を次のように挙げている。「3つのM――Minutemen、Meat Puppets、それにMishimaのサウンドトラックだ。それを聴いて、強く歪ませたトーンと同じくらい、いや、それ以上に、クリーンなギター・トーンでも人の感情を呼び起こせるんだということに気づいた。*5」
パホとウォルフォードが、より荒々しさの少ないクリーンなトーンへと向かって行ったサウンド上の探究は、〈Pat〉だけでなく、《Tweez》の大半で聴くことができる。そこにはジャズのように響くクリーン・トーンのギターがはっきりと顔を覗かせており、とりわけ2曲目の〈Nan Ding〉で顕著である。《Tweez》のリリース後、Slintのサウンドとスタイルは、記念碑的アルバム《Spiderland》に至るまでに劇的に変化した。そこに収録された音楽は、ポスト・ハードコアや、よりヘヴィな音楽からはるかに強い影響を受けたように響き、〈Nosferatu Man〉や〈Good Morning, Captain〉のような、咆哮するヴォーカルと金切り声を上げるようなギターを伴う楽曲によって、Slintはマスロック、ポスト・ロック、ポスト・ハードコア、スロウコア、エモ――まだ続けられるが、ここで止めておこう――といった諸ジャンルにその名を刻むことになった。しかしパホはその後、1990年代に入ると、《Tweez》で試みたクリーン・トーンのギター・ワークをさらに発展させ、シカゴを代表するマス的かつジャジーなポスト・ロックの論客、Tortoiseに参加することになる。
1990年代
Tortoiseとアメリカ中西部のエクスペリメンタル・ロック革命
1990年に結成されたTortoiseは、当初Mosquitoと名乗る予定だった。その初期ラインナップは、実質的には2組のリズム・セクションから成り、ジョン・マッケンタイア(John McEntire, 1970–)とジョン・ハーンドン(John Herndon, 1966–)がドラムを、バンディ・K・ブラウン(Bundy K. Brown)とダグ・マッコームズ(Doug McCombs, 1962–)がともにベースを担当し、そこにマリンバやヴィブラフォンの音もひらめくように用いられていた。(タイラー・ウィルコックス(Tyler Wilcox). Don’t Call It Post-Rock: A Deep Dive Into Tortoise’s Best Live Sets. Pitchfork, 2021)ファースト作を制作する頃までには、マルチ・インストゥルメンタリストのダン・ビトニー(Dan Bitney, 1964–)が加わり、バンドは5人編成へと拡大していた。当時のほかのインストゥルメンタル・ロックのバンドからTortoiseを即座に際立たせていたものの一つが、その楽器編成だった。
ベーシスト2人とドラマー2人を擁したことで、その音楽は必然的に、当時のギターを基盤とした音楽とは異なる響きを持った。とりわけTortoiseがシーンに登場したのが、1990年代初頭のグランジ全盛期であったことを考えればなおさらである。Tortoise、とりわけ初期のアルバムを聴いて重要なのは、単にベーシストを2人使っていたということではなく、それをどのように使っていたかである。その音楽はダイナミクスによって駆動されており、さらにヴィブラフォンとマリンバを用いることで、歪みや攻撃性ではなく、ニュアンスと内省性を備えたものとなっていた。Tortoiseのクリーン・トーンでジャジーなサウンドのかなりの部分が、1980年代のDIYパンクの美学から生まれていたという点は興味深い。
「僕は80年代にパンク・バンドをやっていた」とダン・ビトニーは語っている。「あの時代の出身者には、それに伴うエートスがあるんだ。ある種の『自分たちでやる』ということ、自分のやりたいことをやる、というね。*6」アウグスト・コンテント(Augusto Contento)が監督したドキュメンタリーParallax Sounds(Cineparallax, 2012)は、1990年代のシカゴの実験音楽シーンの文化と環境をきわめて詳細に記録している。Tortoise、Gastr Del Sol、Storm and Stress、そしてのちのDon Caballeroといったバンドは、グランジ時代のメインストリーム・ロックにおける定型を拒絶し、1990年代を通じて実験的ロック音楽の震源地となったシカゴに、一つの音楽シーンを作り上げた。そしてそのシーンは、その音楽をいかに定義しにくいかということによって、大きく特徴づけられていた。この音楽コミュニティはDIYパンクの姿勢から影響を受け、それが、「ロック・バンドとは何なのか、そして何たりうるのか」をめぐる、実存的かつ実験的な探究へとつながっていった。
Tortoiseは、記念碑的な1996年のセカンド・アルバム《Millions Now Living Will Never Die》によって、自らのシグネチャー・サウンドを確立し、インストゥルメンタル・ロックの世界における圧倒的な存在となった。この時点でバンドには、ベースとエレクトリック・ギターの双方を演奏するパホも加わっていた。パホのギター・ワークは、《Tweez》で聴かれた初期のギター演奏を成熟させたもののように響き、クリーン・トーンによる、ほとんどジャズのようなギター・スタイルを探究している。〈The Glass Museum〉、〈Along the Banks of Rivers〉、そしてアルバムの冒頭を飾る20分に及ぶ大作〈Djed〉といった楽曲は、複雑なリズムを取り入れたマス的な実験音楽という文脈のなかで、クリーン・トーンのギターとベースによって何が可能なのかを示している。
セカンド・アルバムの頃までには、そしてその後の作品においても、Tortoiseはクラウトロック、ダブ、エレクトロニカ、さらにはプログレッシブ・ロックからの影響まで、自らの音楽に取り込み始めた。(ジム・アレン(Jim Allen). From Tull to Tortoise: Post-Rock’s Proggy Past. CMJ.)こうしたジャンル間の交配によって、彼らは「ポスト・ロック」バンドというラベルを貼られることになった。しかしここでの目的に照らせば、彼らがクリーン・トーンのギターとベースを、ジャズ的な楽曲構造やフィーリングと組み合わせて用いたことは、マスロック・コミュニティのかなり広い部分にも影響を及ぼした。したがって、ここでポスト・ロックとマスロックの違いについて議論するつもりはない。両ジャンルの歴史は非常に密接に結びつき、互いに織り合わされながら、複数のジャンルからなる実験的ロック音楽のパッチワークを作り上げているので、おそらく両者を比較するだけでシリーズを一本作れてしまうだろう。そしてTortoiseは、ポスト・ロックとマスロックのベン図の重なる部分に難なく置くことのできる、多くのバンドのうちの一つにすぎない。
1990年代半ばから後半にかけてTortoiseの人気が高まり始めると、クリーンなトーンの2人のベーシストを擁し、より複雑なリズム・パターンを持つジャズ的な楽曲を演奏するバンドの波が、アメリカ中西部一帯に広がり始めた。この温かみのあるベースとクリーン・トーンを特徴とする中西部のサウンドの発展に寄与した、特筆すべきバンドをいくつか挙げるなら、Dianogah、Sweep the Leg Johnny、Volta do Mar、Ativin、The For Carnation、そしてSeamである。
意図的だったにせよ、そうでなかったにせよ、Tortoiseはインストゥルメンタル・ロックの世界のかなり広い部分に影響を与えた。そしてそれは、彼らの地元であるシカゴの音楽シーンから始まった。ジャスティン・シンコヴィッチ(Justin Sinkovich)(Thumbnail、The Poison Arrows、Atombombpocketknife)によれば、この影響は、何か真空状態のなかで生じたのではなく、有機的に育っていったものだった。マスロック、ポスト・ロック、ノイズ・ロックは、シカゴのアンダーグラウンド音楽という一本の樹から伸びた、ほんの小枝にすぎなかった。The Fireside BowlやThe Empty Bottleでは、どんな夜であれ、観客はマスロック・バンドがBrise-Glace、Trans Am、そしてもちろんTortoiseのようなポスト・ロック・バンドとステージを共にする姿を見ることができた。ジャズの色合いを帯びたクリーンなギター・トーンと、型破りな楽曲構成・アレンジというTortoiseのアプローチは根づき、広がっていき、さりげなくマスロックを、21世紀を迎える頃にその特徴となる諸要素へと向かう軌道に乗せていった。要するに、よりハードで耳障りなマスロックのサウンドが後景に退き、より豪華でメロディアスな、ギター主導のポスト・ロック・サウンドが前面に出るようになったのである。そして、こうしたモチーフの変化はまったく理にかなっている――豊かなローカル音楽コミュニティにいれば、多種多様なミュージシャンたちと関わることになる。多種多様なミュージシャンたちから刺激を受けることになる。しかし、この街で最も影響力があったのは、文句なしにTortoiseだった。
上に挙げたバンドのなかでも、DianogahとVolta do Marはとりわけ、2人のベーシストを擁するというTortoiseの特徴を共有しており、非常に温かみのあるクリーンなトーンによって、ひとつひとつの音を明瞭に響かせていた。また、ベースを重視することによって、コードよりもリフや反復的な音型によって音楽を支えることが可能になった。こうした要素は、変拍子やますます複雑化するリズムとともに、エモからの影響が浸透し、2000年代を通じてこのジャンルを拡張していくにつれて、マスロックにおいてさらに大きな影響力を持つようになる。The For CarnationとSeamもまた、マスロックの形成に関わったバンドをそのルーツに持つという点で注目に値する。
The For Carnationは、1990年代初頭にSlintが解散したのち、ブライアン・マクマハン(Brian McMahan, 1969–)によって結成された。中心人物であるマクマハンに加え、The For CarnationにはSlintのメンバーだったブリット・ウォルフォードとデイヴィッド・パホ、さらにTortoiseのジョン・ハーンドンとダグ・マッコームズも、複数の作品に参加している。The For Carnationの音楽は遅く、整然としていて、静かで陰鬱である。Slintよりも一般的なリズムに基づいているとはいえ、それでも変拍子はふんだんに使われており、楽曲構造についてもかなり多くの実験が行われている。
とりわけパホ、ハーンドン、マッコームズがバンドの最初の2枚のEPに参加したこともあり、その音楽にはTortoise的なクリーン・トーンのジャズ・サウンドも満ちている。Seamは1991年にシカゴで結成され、元Bitch Magnetのフロントマンであるスヨン・パーク(Sooyoung Park, 1967–)がギターとヴォーカルを担当して率いた。Seamは、1990年代のアメリカ中西部の多くのマスロック・バンドと同様にTouch and Go Recordsを活動の拠点とし、ジャングリーな1990年代のインディー・ロックにスロウコアやマス的な要素を大量に混ぜ合わせることで、落ち着いてリラックスした、そして全般的により物悲しく内省的な楽曲を作り上げた。
American Football、Owls、そしてフィンガー・タッピングするフレットボードの到来
「マスロックの歴史」第1部では、キンセラ兄弟、Cap’n Jazz、そして「ミッドウェスト・エモ」の台頭について論じた。しかし、ポスト・ハードコアやノイズ・ロックに近接したサウンドを持つ初期マスロックから、過去20年間に登場してきた、ジャングリーで、ときにはジャジーで、内省的かつムーディーなマスロックへの進化を語るのであれば、American Footballに触れないわけにはいかない。American Footballの音楽スタイル全般は、トゥインクリーなマスロックと形容されてきた。このサウンドは、2000年代を通じてエモ・シーンを特徴づける要素の一つとなった。
American Football、とりわけ1999年のセルフタイトルのデビュー・アルバム《American Football》についてはすでに実に多くのことが語られてきたが、もう一つ興味深いのは、1990年代末に彼らの周辺で、似たサウンドを持つバンドが活動していたことである。Cap’n Jazz、そしてのちにはOwlsで活動するヴィクター・ヴィラリアル(Victor Villarreal)は、サム・ズリック(Sam Zurick, 1975–)(Owls、Joan of Arc、Make Believe)と組んだGhosts and Vodkaにおいて、マスロックにおけるフィンガー・タッピングによるギター演奏の最初期の試みのいくつかを提示した。このバンドの活動期間は1998年から2001年までと短かったが、アップビートで速いテンポのグルーヴと、メロディアスなフィンガー・タッピングのリフによって、マスロックの一つの雛形を作り出すことに貢献した。彼らが1990年代末に発表していた音楽は、現在聴いてもなお現代的に響く。それはちょうど、American Footballが「ミッドウェスト・エモ」を特徴づけるサウンドを構築していたのと同じ時期だった。このサウンドは、変拍子、型破りなロックの楽曲構造、そして互いに織り合わされたギター・パートを用い、インディー・ロックの範囲を越えた作曲上の志向を持つことによって、ポスト・ロックとマスロックの領域にしっかりと位置している。
C-Clampもまた、American Footballが登場したイリノイ州シャンペーン/アーバナ周辺出身の、スロウコア的な響きを持ち、ときにはジャジーで、そして非常にマス的なバンドである。C-Clampのヴォーカルは、それ以前の多くのマスロック・バンドよりもはるかに物悲しく、エモーショナルに響いた。また、Tortoiseのようなジャズの色合いがあり、そこに精密なドラムと、拍子やリズム・パターンの興味深い使い方が組み合わされ、美しいクリーン・トーンのギターが一面を覆っていた。2000年代初頭までには、American Football、Ghosts and Vodka、C-Clampはいずれも活動を終えていたが、マイク・キンセラ(Mike Kinsella, 1977–)とティム・キンセラ(Tim Kinsella, 1974–)は、ヴィクター・ヴィラリアル、サム・ズリックとともに2001年にOwlsを結成した。
スティーヴ・アルビニがレコーディングした彼らのファースト・アルバム《Owls》は、Cap’n Jazzの1990年代的なエモ・サウンドを引き継ぎながら、それを成熟したソングライティングと演奏と組み合わせている。それは同時に、Ghosts and VodkaとAmerican Footballの自然な延長線上にあるもののようにも響く。Owlsでは、ヴィラリアルのギター・タッピングとティム・キンセラのエモーショナルなヴォーカルが前面に押し出されており、ここまで来ると、「これはエモ・バンドなのか、それともマスロック・バンドなのか、それとも一体何が起きているんだ?!」という、境界の曖昧な領域へと足を踏み入れることになる。
2000年代から現在まで
Don Caballero、《American Don》によってマスロックにパラダイム・シフトをもたらす
Don Caballeroはマスロック史上最も重要なバンドの一つである。このウェブサイトを見てもそれがまだ伝わっていないとすれば、私たちはこれまで何年にもわたって、このサイトでDon Cabについて何度も取り上げてきたし、バンドについての長大な回顧記事まで掲載している。1990年代前半のDon Cabは、そのサウンドにおいてかなり力強さを誇示していた。デイモン・チェ(Damon Che, 1968–)による驚異的で、もはや伝説的といってよいドラムと、マイク・バンフィールド(Mike Banfield)とイアン・ウィリアムズ(Ian Williams, 1970–)のギターが組み合わさることで、マスロックがまだ誕生したばかりだった時代に、このジャンルを確立することに貢献した。バンドは1995年の《Don Caballero 2》と1998年の《What Burns Never Returns》のあいだに活動を休止したが、この2枚のアルバムのあいだに、非常に興味深いことが起きた。イアン・ウィリアムズが、いわばギター演奏というものを完全にひっくり返してしまったのである。Storm and Stressの1997年のセルフタイトルのデビュー・アルバム《Storm and Stress》で多くの音楽的実験を行ったのち、ウィリアムズはギターでフィンガー・タッピング奏法を試し始めると同時に、ループ・ペダルを取り入れ、豊かで複雑なギター・メロディーをループさせ、それらを幾重にも重ねることで、バンドのサウンドを再定義し始めた。1998年頃、ウィリアムズはギター・ループの構築について、TortoiseのドラマーでありBastroの元メンバーでもあるジョン・マッケンタイアに相談した。マッケンタイアはAkai Headrushを薦めた。このペダルとウィリアムズはすぐさま完璧に噛み合い、ウィリアムズが半ば冗談で「ゼロ拍子」と呼んだもののなかで、テクスチャーを組み立てていくようになった。
Don Cabが《What Burns Never Returns》で音楽シーンに復帰したとき、バンドのギター・サウンドは、新しく、異質で、刺激的な何かへと進化していた。アルバム全体を通して、ギターのフィンガー・タッピングやギター・ループのきらめきを聴き取ることができ、とりわけアルバム冒頭の〈Don Caballero 3〉と〈Slice Where You Live Like Pie〉でそれは顕著である。しかし、イアン・ウィリアムズがマスロックのギター演奏を前例のない新たな水準へと押し上げたのは、バンドが2000年に発表した大作においてだった。
バンドの4枚目のフル・アルバム《American Don》は、ループ・ペダルを使って幾重にも積み重ねられた、いくつものタッピングによるギター・メロディーとともに動き始める。実際、このアルバムでは、2本のギターからベース・ラインに至るまで、タッピングが作品全体に浸透している。そして、〈You Drink A Lot of Coffee For A Teenager〉や〈A Lot Of People Tell Me I Have A Fake British Accent〉といった曲を聴けば、Don Caballeroのスタイルがその後に残した遺産を容易に見て取ることができる。そしてこれは、リズム面で行われている極端なまでの実験を軽視するものではない。《American Don》では、ギターのフレーズが絶えずパーカッションの時間軸と同期したり、そこから外れたりしながら漂い、メロディーとリズムを二項対立へと分裂させ、音楽についての従来の観念や形式そのものを解体している。多くの人にとって、これはDon Caballeroを代表するアルバムであり、マスロックというジャンルを体現する一枚である。そして、それに異論を唱えるのはなかなか難しい。
Minus the Bear、TTNG、そして2000年代の新世代マスロック
《American Don》以後、フィンガー・タッピングによるギター奏法、クリーンなギター・トーン、ループ・ペダルの使用は、このジャンルの定番となった。Minus the Bearは2001年に結成され、Seamと同じようなインディー・ロックの雰囲気を持ちながら、《American Don》期のDon CaballeroやGhosts and Vodkaのような、アップビートでダンサブルなリズムとギター演奏を備えていた。デュオのGiraffes? Giraffes!も2001年に結成された。彼らは過去20年間のマスロック・バンドのなかでも最も重要かつ革新的な存在の一つであり、ループ・ペダルを用いたギター・フレーズのループを、自らを特徴づけるスタイルとサウンドの中核的要素として取り入れた。イギリスでは、TTNG(当時はThis Town Needs Guns)が2002年に結成され、ティム・コリス(Tim Collis)のギター・ワークは、複雑に入り組んだポップのメロディーに、ほのかなジャズの感触と、リズムや拍子の独創的な使い方を融合させていた。2008年のTTNGの3枚目のアルバム《Animals》に至る頃までには、彼らはある種のマスロックのスタイルを決定づけるうえで大きな役割を果たしていた。それはディストーションというハードルを飛び越え、複雑な楽曲アレンジと目眩を起こすような拍子の使い方のなかに、ポップなメロディーとダンサブルなドラム・ビートが明確に存在する領域へと踏み込んだものだった。
2000年代から2010年代を通じて、新世代のマスロック・バンドが登場した。彼らは、1980年代半ばから後半、そして1990年代前半にかけてのマスロック第一波から育ってきたノイズ・ロックやポスト・ハードコアの影響を受けたバンドよりも、TortoiseやAmerican Footballのクリーン・トーンでジャズ的なギター・ワーク、あるいはDon CaballeroやGhosts and Vodkaのフィンガー・タッピングの超絶技巧に、はるかにしっかりと根を下ろしていた。
Piglet、Alarmist、Enemies、The Redneck Manifesto、Colour、Clever Girlは、こうしたタイプのバンドのなかでも特筆すべき存在であり、過去15年以上にわたって拡張を続けてきたマスロックのサウンド・パレットに貢献したバンドとして、ここで名前を挙げ、評価しておくべきだろう。
クリーン・ギターとフィンガー・タッピングのルネサンスは、アメリカや西ヨーロッパをはるかに越えて広がった。東アジアでは、toe、Lite、tricot、大象體操(Elephant Gym)といったバンドがいずれも、歯切れのよいクリーンなギターと、フレットボード上を目にも止まらぬ速さで駆け巡る演奏に、ジャズ的な装飾、精密なドラム、密度の高い複雑な作曲を組み合わせる音楽スタイルに根ざしている。そこから生まれたある種のスタイルとサウンドは、今なお1990年代のTortoiseとDon Caballeroによる実験に目配せしている。
ひとまず、私たちの物語はここで終わる――では、ノイジーで獰猛に襲いかかるBreadwinnerから、チーターのようなスピードでフィンガー・タッピングを繰り出すメロディアスなマス・ポップのstandardsに至るまで、このジャンルを多様化させることに貢献したあらゆるバンドを取り上げることができただろうか……いや、もちろんできていない。そしてPele、The Mercury Program、Tubelord、その他、このジャンルへの貢献や後続のバンドへの影響についてもっと評価されてしかるべき多くのバンドには申し訳なく思う。それでも、このジャンルがどのような全体的基盤の上で進化し、さまざまなバンド、ミュージシャン、技法、音楽環境、そして実験によって、どのように形づくられ、また形づくり直されてきたのかを説明できていればと思う。
結局のところ、どう切り分けようとも、マスロックとは、特定のギター・トーンや、ギタリストがフレットボードをタッピングするかどうか、あるいは巨大なペダルボードを使うかどうかといったことを、はるかに越えたものである。この記事で取り上げたのは、マスロックという樹から枝分かれして伸びてきた数多くの曲がりくねった道の一つにすぎない。このジャンルは今なお絶えず拡張し、適応し続けている。そしてマスロックは、Town Portalのようにヘヴィにもなれば、Hellaのように仰々しくもなり、StrobesやMouse on the Keysのようにジャジーにもなれば、BattlesやThree Trapped Tigersのようにエレクトロニックで未来的なサウンドにもなりうる。マスロックとは、リズムの複雑さ、独特な楽曲構造、メロディーのフレージングを存分に追究する、ロックを基盤とした音楽というメディアを探究するための道具なのである。そしてもちろん、念のために変拍子も少々――このダジャレについては謝るような、謝らないような。
←マスロックの歴史③:5分考えよう、《Time Out》が最初のマスロック・アルバムなのはなぜか
→マスロックの歴史①:「じゃあもうブラック・フラッグもマスロックってコト?!」
*1:〔訳註〕TTNGの楽曲名。《This Town Needs Guns》(2008, Sargent House.)に収録。
*2:Chuter, J. 2015. Storm Static Sleep: A Pathway Through Post-Rock. Function Books.
*3:Bangs, L. (Dir.). 2014. Breadcrumb Trail [Film].
*4:Tennent, S. 2011. Spiderland (33 1/3 Series). Bloomsbury: Bloomsbury Publishing.
*5:Chuter, op.cit.
*6:Barrios, M. 2022. Thirty Years of Tortoise. Bandcamp.